初代スカイラインの思い出

あるサイトで懐かしい画像に出会った。
若い頃、もう50年も昔のことになるが、18歳で免許を取り、初めて買った車が、この初代スカイラインである。 もちろん中古車だったのだが。 昭和35年当時名古屋の街を走っている車といえば、乗用車は少なく、オート三輪やトラック、軽四輪が多かった。 個人で車を所有する家庭は滅多に無かった、交通手段としてはオートバイやカブが当時の若者の憧れといった時代だったし、極く少数の人が乗っている白ナンバーの乗用車は、ルノー、ダットサンなどの小型車だった。 クラウンなどの中型者はタクシーか、会社の社長が運転手付きで乗っているのが相場だった。 当時のクラウンは「だるまクラウン」と言われ、ずんぐりしたスタイルが親しまれてはいたが、トラック並みの足回りで乗り心地は悪く、あえて買う気を起こすような代物ではなかった。
免許を取ったばかりのそんな時、市内の中古車屋で見つけたのが、この初代スカイラインだった。 どこかの大会社の社用車だったのだろうか、黒塗りの外観も内装も美しく、クラウンやダットサンあたりとは一味違う高級感に輝いていた。 仕事もやめて遊んでいた身分には、分不相応だったが、当時の仲間に車を持って白タクをしている者が居た。 自分もこれで稼げばなんとかなるだろうと考え、親を説得して買うことにしたのだった。 そしてついに当時珍しいオーナードライバーとして、颯爽と名古屋の街を乗り回したのがこの初代スカイラインなのだった。 今でもあの頃のことを思うと、若気の至りというか、大それたことをしていたと思う。
あの頃道路事情は悪く、未舗装道路ばかりだったが、車が少なかったので、乗り心地のよいスカイラインは最高だった。 当時クラウンを始めほとんどの車が後輪リジッドの板ばねだったのに、スカイラインだけがドディオンアクスルの後輪独立懸架を持ち、OHVエンジンとともに斬新な技術を採用していたのだ。
このスカイラインに乗っていたのは2年そこそこだったが、いろいろなことが有り、いろいろな所へ行った思い出は今も消えていない。 まさに青春時代そのものだった。 その後、日本もモータリゼーションの波が押し寄せ、若者のほとんどが運転免許をとるようになって、家に1台の車が普通になったが、それに伴い制約の多い車社会となって行った。 日本が車社会の黎明期を迎えんとした60年代前半に、あのような体験を持つ人は少ない。 同年代の友人などでも、初代のスカイラインを知っている者はほとんどいないのだ。 のちに二代目スカイラインが出たのは昭和40年代に入ってからのことで、それが初代2000GTの基となるベストセラー・カーであった。
しかし、今となってはほとんど知る人のない初代スカイラインは、幻のスカイラインと言われても、我が青春の記憶として懐かしく生き続けているのである。
トラックバック URL :
コメント (0)


五月の末、碧南市へ行った帰りに油が淵の菖蒲園に寄った。 時期的にちょっと早いかなと思ったのだが、案の定花の数はまばらで、色にも鮮やかさが無いようだ。